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一周忌

このところブログを更新できなかった理由。

5/25は父の一周忌でした。昨年亡くなってから、ブログでは一度もこの話題には触れていませんでした。極めてプライベートなことですし、あえてブログで書くのは、読者の皆さんがどう感じるかなぁと思ったのと、父の死に対しての自分の感情をうまく表現することができるか、感じていることを伝えられるか、と逡巡したからです。

ブログでは、父のことに触れずに実家での出来事などを書いたりして、自分としてはちょっと違和感もあったので、一周忌の節目には書いてみよう、とこの一年思っていました。

ただ、いざ一周忌を迎えてもやはりどう書いたらいいのかと迷っているうちに数日経ってしまいました。

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我が家(実家)は家族仲の良い方だと思います。まぁ40数年家族をやっているので、思春期には世間並みに反抗したり、それなりに波乱万丈でした。

父親が転勤族だったので、小学校から高校まで転校も何度かしました。父の方針で、単身赴任ではなく、家族揃っての引っ越しが我が家流でした。

ただ、大学入学と同時に私は実家を出て東京に来たので、割と早く親離れ(特に父親から)ができていました。

幸いなことに、これまで両親ともちょこちょこっと入院したことはありましたが、大病をすることはなくシニア世代まで生きてきました。

父に関してはこの数年体調を崩しがちでしたが、ザ・昭和な人間で、タバコとお酒をこよなく愛し、タバコとお酒をやめてまで長生きしたくない、が口癖でした。

体調を崩すようになってからも、母や私、妹がいくら注意しても聞く耳を持たないので、それが父の生き様だと受け止め、口うるさく言わないようにしていました。

父が大きく体調を崩したのは去年の2月末からで、3月頭の会社の先輩、同期と福岡旅行中のホテルで休憩中、母から、お医者さんから余命宣告をされたと電話を受けました。

楽しみにしていたミシュラン店での水炊きの夕食を前にかなり動揺しましたが、とりあえず気を取り直し、水炊きを美味しく味わいました。本当に美味しい水炊きだったんです。→

そして、3月末に予定していたシンガポールひとり旅は中止、実家に行ったり、病院にお見舞いに行ったりして、3月、4月を過ごしました。

そのうちに少し落ち着いてきたので、GWの上海旅行は決行、そしてGW後半は実家で過ごし、この時には、少しでしたが、父もお酒を飲んだりしていました。

そして亡くなる2日前、病状と今後の治療方針について説明したいとお医者さんから言われて、母と妹と病院に。この時、意識のある父と最後に話しました。

体がだいぶ弱っていて起き上がると苦しそうでしたが、「痛いところなんてどこもない」「入院する必要なんてない」「タバコが吸いたい」など、いつも通りの強がりを言って、それがなんだか微笑ましくて、最後は手を振って別れました。

そして翌日の夕方に意識不明になり、半日後に亡くなりました。

親が亡くなることって、子供の頃から何度か想像し、想像しただけで胸が締め付けられるような気持ちになっていましたが、本当に亡くなった時は、不思議なくらい冷静に受け止めていたような気がします。自分でももっと号泣するのかと思っていましたが、それは亡くなった直後も、数日後もお通夜でもお葬式でも、一年経った今もそれほど変わらず。

さすがに納棺時にはこみ上げるものがありましたが、それも一瞬のことでした。

当初は実感がないだけか、と思ったのですが、やはりずっと離れて暮らしていたので、父親は同じ空間にいる存在ではなく、どちらかというと心の中にいる存在のように感じます。

亡くなってからは、常に心の中に居続ける感がさらに強くなり、いつも一緒という感じです。

昨年亡くなった直後から、喪に服すということもなく、旅行に行きまくっているのはご存知のとおり。不謹慎かもしれませんが、個人的には、自分の内面で父親との関係が構築できていればいいと思っていて、あまり形式的なことにはこだわらずに過ごしてきました。(もちろん、それが良いとも言えません)

コロナのことがあって、一周忌の法要もできていませんが、一周忌を迎えた月曜日にはお花と、父が好きだったぶどうを買ってきました。

振り返ってみると、一番辛かったのは、今まで身近に感じていなかった親の死が初めて自分事となった福岡のホテル、母親から電話を受け、余命宣告について聞いた時だったなぁと思います。

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今の生活、そして精神的にも経済的にも、今の自分があるのは両親のお陰だと心底思っています。家族での団欒のひととき、旅行中、時には喧嘩で、事あるごとに父に言われた言葉一つひとつが自分の血肉になって、今の自分があると思います。

大したことはできませんでしたが、父に対してあまり後悔していることもなく、ただこれから自分が自分らしく(幸せに)生きていくこと、そして母のケア(今は元気に暮らしています)をしていくことが、これからも父に対してもできる親孝行だと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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