魅惑のプラナカン文化
先週購入した「プラナカン」を読了しました。
もともとプラナカン(Peranakan)とは、地元マレーの言葉で「その土地で生まれた子」という意味である。プラナカンの男性をババ(Baba)、女性をニョニャ(Nyony)と呼ぶ。
「プラナカン」太田泰彦著
プラナカンとは、15世紀〜16世紀頃中国から、マレーシア・シンガポール等に渡ってきた中国人男性と現地女性との間に生まれた子供、その子孫たちです。中国人女性が、中国から出国を許せなかった時代に、中国人男性が現地の女性と婚姻関係を結び、その子孫たちを上記の通り、プラナカン、またババ、ニョニャと呼んだそうです。
私がプラナカン文化と出逢ったのは、今から9年くらい前。クアラルンプール(KL)からマラッカを旅行した時のことです。マラッカにはプラナカンの伝統的な家屋が残っていて、そうしたエリアを観光しながら、ニョニャ料理をいただきました。
*実はマラッカに行った時生まれて初めて熱中症(当時、熱中症とは言われてなく、もっぱら日射病って言ってました。)になってしまい、本当に辛かったのです。急な体調変化で何が起こったかわからず、もしやつわり?妊娠?とよぎりました!!マラッカからKLに戻ってお友達と夕食(肉骨茶)をとる予定だったのですが、これまた私の人生においては珍しく食べ物をまったく受け付けませんでした。一晩寝たら無事治りました😊
そんなちょっと辛い記憶と共にあるプラナカン。日本ではあまり聞くことはありませんが、先週丸善で見かけて購入しました。
著者は日経の記者でシンガポール駐在時代にプラナカンと出会って興味をもち、シンガポール、マラッカ、ペナン、インドネシア等々各地のプラナカンコミュニティを取材した内容をまとめた本です。
プラナカンというと本の表紙にあるようなお花や鳥をモチーフにしたフェミニン(著者の表現)で特徴的なデザインの食器や、女性の民族衣装サロン・ケバヤ、ニョニャ料理と言った女子好みな側面でのイメージを持っていましたが、この本には、こうした文化を形成する背景となった歴史や、政治・地域社会におけるプラナカンの存在や活躍、一方で社会においてマイノリティであることの暗の部分にも焦点が当てられています。
親日だったシンガポールの故・リー・クアンユー元首相もプラナカンだったと書かれています。
自分がマラッカやペナンで目にしたプラナカン文化のバックグラウンドについて体系的に知ることができたのは整理となりましたし、また”融合”の文化の中で生きてきた人々の生き方、考え方についても考えさせられるところがありました。
伝統や自分たちのルールに根付いた生活スタイル・文化を作り上げていくのは日常の積み重ねであり、あまり意識せずにできたとしても、一旦作られたものを守っていくのはとても難しいことであること、また保存することを目的にしてしまうと、それ自体が自分たちの生活から切り離されたものになってしまう、というそうした苦悩も感じました。
マラッカ、ペナンは知っていましたが、シンガポールにインドネシア、タイ(サムイ)まで想像以上に広いエリアに存在するプラナカンコミュニティ、プラナカン文化に触れる旅に出たくなってしまいました。
こちらは2015年にKLで食べたニョニャ料理。マレー料理と中華料理の融合です。